第6回 元バレーボール全日本男子代表 蔭山 弘道(かげやま ひろみち)さん

習志野高校から全日本へ!
世界へ羽ばたいたバレーボール選手の、習志野でのバレー漬けの青春。
2008年10月、習志野市の東部体育館で行われたバレーボールフェア。そこにコーチとして参加されたのが、習志野高校男子バレーボール部出身の蔭山弘道さん。蔭山さんはかつて全日本代表選手としてソウル五輪などの国際大会にも出場した経験を持つ、バレーボールのトップ選手。引退後は富士フィルムに勤務する傍ら、高校やイベントなどでコーチをしておられます。2008年10月、久しぶりに習志野高校を訪ねたという蔭山さん。習高時代のお話からバレーボール全体のことまで、幅広くお話を伺いました。
バレーボールと言えば、北京五輪では男子代表が16年ぶりの出場。
最終予選は盛り上がりました。
盛り上がりましたね!五輪の結果は全敗でしたが、出場できたことは男子バレーの今後にとって本当に大きいことです。バレーボールの国際大会には、ワールドカップ、世界選手権、オリンピックと三つの大きな大会があるんですが、オリンピックはとにかく別格。僕もソウル五輪に出場しましたが、20年経った今でも、開会式で小旗を振りながら入場したときのことなど、はっきり覚えているほどです。
中学や高校で、オリンピック出場を意識されたことはありますか?

習志野バレーボールフェアにて指導風景
なかったですね。そもそも中学でバレーボールを始めたんですが、実は入部の際に部室を間違えてしまったことがきっかけなんです。本当はバスケット部に入るつもりだったのに、バレー部の部室へ行ってしまって(笑)。
僕の通った夷隅郡(現いすみ市)の大原中学は千葉県下でもバレーの強豪校。練習もスパルタ教育で、殴られたことばかり覚えています。今でしたら大問題でしょうが、僕の両親もしつけには厳しくて、先生を全面的に信頼していた。そこで基礎を徹底的に叩き込まれました。
3年間続けたのは、バレーボールが面白かったからだと思います。でも進学は近くの高校にと思っていた。そうしたら習志野高校の当時顧問だった田部井先生が大原まで見えられて、習高へ来いとスカウトされたんです。遠いところを何度も通ってくださるし、周囲の勧めもあって、習志野高校へ進学することになったんです。
習志野高校では、どんな学生生活でしたか?
僕が通った当時の商業科は体育科のようなもので、「勉強よりもスポーツ」といった感じ。僕も毎日バレー漬けでした。休みもほとんどないし、練習が終わるのが夜の8時を過ぎることもざらではありませんでした。全体練習が終わっても自主的に練習をするんです、強くなりたいから。
そんな生活なので、習高ではバレー以外の記憶はほとんどないですね。運動会ってあったのかな?(笑)
修学旅行は高校選抜の試合で参加できなかった。文化祭はありましたね。もっぱら普通科のクラスの模擬店で食べてばかりでしたけどね(笑)。
そう言えば、習高から実籾駅まで田んぼ脇を抜ける裏道があって、僕らは通称「恋人ロード」って言ってましてね(笑) ただの通学路なんですが、車が通らないので2人で話しながら歩くのにちょうど良かったんです。僕もつきあっていた彼女と一緒に帰りましたよ。彼女のほうが早く練習が終わるんですけど、僕が終わるのを待っていてくれた。そんなこともありました。
習志野高校では春高バレーで優勝。卒業後は法政大学、実業団へと進まれました。
高校も大学もバレー中心の生活で、普通のキャンパスライフなんて有り得ませんでした。次はどの試合、次はどの遠征みたいな感じで、自分なりに先々のことを考えられなかった。
でも大学三年生でソウル五輪に出させてもらい、実業団へ進もうと思ったんです。春高バレーで優勝、五輪、世界選手権、ワールドカップを経験して、あとは実業団で優勝したいなと思った。結果的にそれも叶えることが出来ましたし、本当に順風満帆な現役生活だったと思っています。
引退して何年も経ちますが、バレーボールは今や僕の趣味。間違って始めたものなのに、すっかり自分になじんでいます。でも性格的に、バレーを職業にはできないなあとは思っています。同い年の中垣内や大竹は監督やコーチといった指導者の道を歩んでいますけどね。僕も春高バレーに連動した企画で毎年ひとつの高校でコーチをしますが、一人一人のスキルや状態にあわせた指導が求められますから本当に大変。中垣内や大竹は、良くやっているなあと思います。
バレーボールはとても緻密な競技ですよね。
コート上の6人だけで闘っているわけではないんですよ。控えも含めた12人の選手、コーチ、スタッフ、全部一緒になって初めて闘えるスポーツなんです。常に絶好調な選手なんていませんし、逆に自分が絶好調でも「お前のトスが良かった」「お前のレシーブが良かった」と声をかけあって、チームとしてまとまっていくんです。ただ、僕自身がチームワークを意識できたのは実業団に入ってから。中学や高校時代にはそこまで考えられませんでした。とにかくがむしゃらな毎日でしたから。
習志野高校時代のチームメイトの方とは、今もお会いになりますか?
会いますよ!今も二ヶ月に一度は集まっています(笑)。普通、一年に一回ですよね。そのとき集まれるメンバーが4、5人集まっては一緒に飲むんですけど、やっぱり高校時代の話になってね。そのうち話の内容もかぶってきて、「もうその話はいいよ!」ってなるんですけど(笑)。そうやって集まれる仲間たちですね。
子どもたちがスポーツをする環境についてはどうご覧になりますか。

指導者の存在が大切だと思います。今の習高男子バレー部の飯塚先生を良く知っていますが、厳しいけれどハートを持って子どもたちと接することができる、素晴らしい先生です。良い指導者と巡り会えることは、本当に素晴らしいことです。
今年(2008年)の10月、習志野高校に久しぶりに伺って、ほとんど変わっていなくてとても懐かしかった。実籾駅や周辺は様変わりしましたが、道すがら、つい習高の校歌を口ずさんでいました(笑)。覚えているものですよね。僕も習志野高校OBとして、習高や習志野の地域のためにバックアップできることがあればと、いつも思っています。
【取材:2008年11月18日】
インタビューを終えて。
蔭山 弘道氏
1967年生まれ。夷隅郡(現いすみ市)の大原中学校から習志野高校へ進学。1985年、高校2年生のときに全国高等学校バレーボール選抜大会(通称「春高バレー」)優勝。1988年ソウル五輪バレーボール日本男子代表。法政大学を経て実業団・富士フィルムに入社、1992年に日本リーグ(現プレミアリーグ)優勝。現在は富士フィルムに勤める傍ら、各地で行われるバレーボールのイベントにコーチとして参加している。
プロリーグのない日本では、バレーを続け、技術を向上させていくのは個人の情熱に委ねられている現状がありますが、その一方で『ママさんバレー』のように日常の傍ら楽しめるのもまたバレーボールの魅力。「バレーは一人ではできない」と蔭山さんも取材のなかで仰っていました。バレーボールは「皆で楽しむ」ことが出来る魅力的なスポーツなのです。そんな蔭山さんのコーチングは、とても好評だとか。気さくで優しい人柄がとても印象的でした。
※Vプレミアリーグは、プロリーグではないですが、選手の中には、チームとプロ契約をしているケースもあります。
ちょっとオマケ!
習志野高校男子バレーボール部は現在も千葉県の強豪校。2008年は春の全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)で千葉県大会優勝(2年連続15回目)、夏の高校総体も千葉県大会で優勝し(2年連続21回目)全国大会に出場しています。全国大会では予選や一回戦での敗退でしたが、三年生引退後の一年生大会では千葉県で優勝し層の厚さを実証。11月現在、新人戦を闘っている習志野高校。今後の活躍にも期待大です。

