習志野の歴史を知ろう

習志野の歴史を切り口にさまざまな名所や活動をご紹介いたします。

第6回 東京へ、成田へ、そして世界へ 

~京成電鉄の歴史~(後編)

前回ご紹介した開業から戦後復興期の時代の中で、京成電鉄は現在の路線図の大本の形を整え、千葉県内の大動脈のひとつとして役割を果たしていました。そしてやってきた高度成長期。
日本全体が急速に発展し、変貌を遂げたこの時代、京成もまた新たな役割を担っていくことになるのです。

千葉-東京-神奈川をダイレクトに結んだ相互乗り入れ~1960年代~

昭和43年度実籾駅 実籾1号踏切からホームを見たところ(左側が改札)
【習志野市教育委員会所蔵資料】
昭和43年度実籾駅
実籾1号踏切からホームを見たところ(左側が改札)

昭和32(1957)年、京成は東京都・京浜急行との三者間で相互乗り入れに関する協定を締結し、押上駅から都営地下鉄1号線(現・浅草線)への乗り入れに向けて準備作業に入りました。
このとき最大の問題となったのは、京成と京浜急行の軌間の違い(京成1372mm/京浜急行1435mm)でした。
都を交えての協議の結果、軌間は1435mmに決定したため、京成は昭和34(1959)年、当時の全線82.5kmにわたり軌間変更工事を実施。同時に車両の改造や新造、また押上駅の地下移設工事を行いました。

昭和43年度 現在の実籾1号踏切(南側から)
【習志野市教育委員会所蔵資料】
昭和43年度
現在の実籾1号踏切(南側から)

翌年、都営1号線押上~浅草橋が開業し、初の私鉄・地下鉄の相互乗り入れが実現します。
1号線は約8年かけて徐々に路線を延ばし、昭和43(1968)年ようやくほぼ全線が開通。京急本線も泉岳寺駅に乗り入れを果たしました。
これによって千葉-東京-神奈川が1本のレールで繋がり、通勤・通学の足がより便利になったのです。
また近年、成田空港~羽田空港間の直通列車が運転されていますが、それが容易になったのもこの相互乗り入れのおかげといえます。

「スカイライナー」デビューと成田空港開港~1970年代~

スカイライナー(平成20年12月撮影)
スカイライナー(平成20年12月撮影)

1970年代に入ると京成は、北総開発鉄道・千葉急行電鉄・東葉高速鉄道と、県内のニュータウン住民の足となる新線建設を目的とした会社を相次いで設立する等、積極的な経営に乗り出します。
成田に建設が決まった新東京国際空港(現在は成田国際空港。通称・成田空港)にアクセスする新線建設免許も申請していました。が、当時国際空港ターミナルに民営鉄道が直接乗り入れるのは、世界でも例のないこと。空港駅の位置の変更を余儀なくされる等の紆余曲折を経て、昭和42(1972)年、新線の建設が完工します。しかし、反対運動による開港の延期で、6年余りにわたり営業できない期間が続きました。

そんな最中の昭和48(1973)年、空港連絡特急として製造された新型車両が、公募により「スカイライナー」と名付けられ、一足先にデビューします。しかし、しばらくは開港のメドが立たないため、「スカイライナー」の名称は使わず、京成上野~京成成田間で運行されていました。本来の名称と役割に戻り、成田空港駅(現在の東成田)に向けて走り出したのは昭和53(1978)年5月21日。成田空港が開港した翌日でした。 現在の成田空港駅が完成し、念願の空港ターミナル乗り入れを果たすのは、さらにその約13年後。平成3(1991)年まで待つことになるのです。

実籾駅:実籾1号踏切からホームを見たところ(平成20年12月撮影)
実籾駅実籾1号踏切からホームを見たところ
(平成20年12月撮影)

実籾駅北入口(平成20年12月撮影)
実籾駅北入口
(平成20年12月撮影)

京成電鉄が生みの親! 東京ディズニーランドオープン~1980年代~

世界でもトップクラスの集客数を誇る「東京ディズニーリゾート(TDR)」を経営・運営する(株)オリエンタルランド(OLC)が設立されたのは、昭和35(1960)年のこと。京成が浦安沖を埋め立て、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設を計画したのがきっかけでした。
京成電鉄、三井不動産、朝日土地興業(船橋ヘルスセンター、後に三井不動産に吸収合併)の三社による出資で誕生したOLCは、当時京成電鉄社長だった川崎千春氏が社長を兼任、事務所も京成の本社内に設けられていました。アメリカのディズニーランドを誘致するという明確な方針を示し働きかけたのが、この川崎氏だったと言われています。
昭和58(1983)年、「東京ディズニーランド」がオープン。オイルショック後の経済成長時にオープンしたこのパークは、日本中の人々の心をつかみ、初年度から1036万人もの入園者を数えました。
その後も順調に入園者数は延びるなか、ディズニーは舞浜地区全体の開発を目指す「東京ディズニーワールド構想」を提案。それを受けて、OLCは昭和63(1988)年の東京ディズニーランド開園5周年の記者会見の席上で、「第2パーク構想」について発表します。
平成12(2000)年「リゾート宣言」に続き、「イクスピアリ」「ディズニーアンバサダーホテル」等が、翌年にはTDR内を結ぶモノレール「ディズニーリゾートライン」、第2のディズニーパークである「東京ディズニーシー」と開業が相次ぎました。
最近でも、25周年を迎えた平成20(2008)年、第3の直営ホテル「東京ディズニーランドホテル」や、「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」がオープンする等、TDRは今も着々と進化を遂げています。

成田新高速鉄道線開通に向けて~京成の今後~

新型スカイライナーパース
新型スカイライナーパース

JR東日本とともに日本の玄関・成田空港への鉄道アクセスを担っている京成ですが、都心から50~60km圏にある成田までの所要時間は、現在最速で51分。これを諸外国並みに短縮するため、新しいルートの計画が進んでいます。
新ルートとなる成田新高速鉄道線は、京成上野・日暮里から京成本線を経由、北総鉄道北総線を延伸して成田空港に直結させるもので全長64.1km。在来線では最も速い、最高時速160kmで新型「スカイライナー」を走らせ、日暮里~空港第2ビル間をわずか36分で結びます。

写真提供:成田国際空港(株)
写真提供:成田国際空港(株)

開業は平成22(2010)年の予定。「スカイライナー」がすべて新ルートを走るようになるため、従来の路線でもダイヤに余裕が生まれ、利便性の向上が期待できそうです。



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