習志野の歴史を知ろう

習志野の歴史を切り口にさまざまな名所や活動をご紹介いたします。

第1回 今につながる習志野のまちづくりの理想

人口約16万人、面積およそ21km2の習志野市は、政令指定都市であり千葉県内随一の人口(約93万人)を抱える千葉市や都市部としては有数の広さ(約60km2)をもつ船橋市に挟まれながら、インフラ整備や教育・福祉の充実など、「住むための好環境」がギュッと詰まっているコンパクトシティです。
実は、この「住むための好環境」づくりは、昭和29年8月1日、習志野市が千葉県内16番目の「市」として成立した時から営々と続けられてきた、独自の努力の賜でもあります。習志野市の歴史をご紹介するこのコーナーの第1回目は、この独自のコンパクトシティ習志野市の礎を築いた、初代市長・白鳥義三郎さん(明治31年~昭和40年)の「今につながる習志野のまちづくりの理想」にフォーカスします。

「歩きながら考える」でまちづくりを推し進めた学者市長・白鳥義三郎

初代市長・白鳥義三郎さん

白鳥さんは、ドイツのベルリン工科大学で、新しい学問として研究が進みつつあった「都市計画論」を学び、帰国後、早稲田大学をはじめ芝浦工業大学や千葉工業大学などで教鞭を執っていたこともある学者でした。
当時のドイツでは大きな都市を理想とする考え方に対して、人口2万人規模の中小都市を理想とする「小都市論」が唱えられており、さらに、視察で訪れたアメリカでは巨大都市と衛星都市についての研究が盛んでした。
白鳥さんは、こうした欧米での研究を踏まえて、昭和22年に津田沼町長に就任、さらに新生・習志野市の初代市長として独自の都市(まち)づくりを実践していったのです。
新生間もない昭和31年、習志野市の人口は3万人弱で全国469市中下から44番目、面積は同じく下から7番目という“かわいらしさ”でした。しかし、だからこそ白鳥市長は住みよいまちづくりへの思いを熱くしました。
習志野市誕生後の新聞インタビューでも「おそらく全国で最小の市かも知れませんが、こぢんまりとしたモデル都市として・・・市民本位の住みよい都市を建設したいと思っています」と、その思いを語っています。

小さいからこそできること

習志野建設部隊
「習志野建設部隊」の勇士

こんな白鳥市長は、どんどん外に出て市民の声に耳を傾けつつまちづくりの陣頭指揮を執る行動派市長、アイデア市長でもありました。
建設機械などの重機を購入して市による直営都市計画を推し進めたのも白鳥市長です(ちなみに当時の土木課は「習志野建設部隊」と呼ばれていたそう)。「市の財政は貧弱ですから、できるだけ直営工事にして工費を詰め、さらに能率を上げて人件費を節約するにはどうしても機械の力を借りねばできません」と、白鳥市長は語っています。

ならこう野球部
「ならこう」野球部の入場行進
※写真は第44回
全国高等野球選手権大会
(夏の甲子園)での行進風景

また、「地元に市立の高校を」との市民の要望に応えるため、特に力を入れたのが市立高校の創設。
それは昭和32年春の市立習志野高校の誕生として実現します。この習志野高校には、白鳥市長の「人のネットワーク」で初代校長となった山口久太先生など熱心な先生方が集まりました。「文武両道」を目指し、甲子園で全国を制覇した野球、あるいはサッカー、バレーボール、ボクシングなどが活躍。習志野の名前は広く全国に知られるようになります。近年では吹奏楽部も全国一になるなど、「文」の面でも活躍著しい習志野高校。「ならこう」と親しみを込めて呼ばれながら、白鳥市長の「習志野の王冠たれ」という言葉どおり、市のシンボルともなっています。

円形校舎
習志野高校「円形校舎」
残念ながら老朽化に伴い取り壊され、現在その姿
を見ることができない

また、鉄筋円筒形3階建ての「円形校舎」が最初に建てられたのも習志野高校です。円形校舎は、16角形のらせん状構造で中央に吹き抜けがあり、「世界的にも習志野だけ」と言われるほど斬新な設計。実は、ここにも「都市計画学者」白鳥義三郎のアイデアが活きていると言われているのです。

自主自立路線を行く

「小さくとも効率の良い活力溢れる都市を建設しよう」との理想を掲げ、その土台作りに邁進した白鳥市長から半世紀余。
たとえば「教育の振興と充実」はその後も歴代市長に引き継がれ、現在の習志野市は「子育て日本一を目指すまち」を宣言しています。
市内には、16の小学校に対して14の市立幼稚園と1つのこども園と、1つの小学校にほぼ1つの幼稚園が設置されています。さらに、幼稚園と保育所が一体化した「東習志野こども園」が全国的にも早い時期から開設され、その一部には親子で遊べる「こどもセンター」も併設されており、ご家庭のニーズに応じた保育・子育ての支援が受けられるようになっています。 このような教育や子育て環境の整備が進んでいることを理由に、習志野市を選択して移り住む20代30代の若いファミリー層も増えているそうです。 白鳥市長の目指した「市民本位の住みよい都市建設」は「自主自立」の気風として、現在も深く根ざし、市民と共につくるまち習志野として今日も変わらず生き続けています。



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